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Biography

年譜

  • 1962年12月28日15時 トニー・ペトルチアーニの三男としてフランスのオランジュに生まれる
  • 1966年 (4歳) テレビでデューク・エリントンを見てクラシックピアノを習い始める
  • 1968年 (5 又は6歳)オランジュ古代劇場にてカウント・ベーシーを聴く
  • 1968年 (6歳) モンテリマールへ引っ越す
  • 1970年代初め ダンスホールで初めて演奏する。ギャラはオレンジ一つ。
  • 1971年 モンテリマールのピエールジュリアン通り124番へ引っ越す。父トニーが音楽店「ムッシュー・ペトルチアーニのスペシャル・ミュージック」を開く。
  • 1975年 ドローム県、クリウスクラ・ジャズ・フェスティバルに出演、プロデビュー。スペシャル・ゲストとして参加したクラーク・テリーに認められる
  • 1975年 マヌ・ロシュに出会う。マヌ・ロシュは、ミシェルにドラムの才能を見出される。
  • 1976年 トニーが楽器店をたたみ、一家はLes Termes Route de Chateauneufへ引っ越す。
  • 1977年 モンテリマール劇場で行われたケニー・クラーク、ダニエル・ユメール、シャルル・ソードレーのツアーに一部で参加する。このときダニエル・ユメールからアルバムを作ろうと誘われるが、父親がまだ早いと断る。
  • 1980年7月22日 グランド・モット・フェスティバルに参加する。ビル・エバンスに会う。
  • 1980年8月3日(日) アルド・ロマーノと知り合う。New!!!
  • 1980年 パリで最初のアルバム[フラッシュ] を録音、レコード・デビューする
  • 1981年 ジュヌヴィエーヴ・ペイレンがエージェントになるNew!!!1981年出来事は順不同
  • 1981年 カリフォルニアに旅立ち、 友人トロックス・ドロハートの紹介でビック・サーにあるエサレン研究所にて住み込みで働く。ここでチャールズ・ロイドの妻、ドロシー・ダールに出会い、ロイドとの演奏活動が始まる。
  • 1981年 チャールズ・ロイドとサンタバーバラのロベロ劇場にてコンサートを行う。マスコミにロイドをカムバックさせたフランスのピアニストとして取り上げられる。
  • 1981年(18歳) インディアン・ナボホ族出身のエルリンダ・モンターニョと結婚する
  • 1982年4月30日 カリフォルニア州マリン郡で結婚式を行う。その後グリーンカードを取得する。New!!!
  • 1981年-82年 リー・コニッツ (アルト・サックス)と欧州公演を行う
  • 1982年7月 チャールズ・ロイド・カルテットにてモントルー・フェスティバルに参加する
  • 1982年10月 フランスの雑誌「Jazz Magazine」の表紙になるNew!!!
  • 1982年秋 チャールズ・ロイドとパリ・ジャズ・フェスティバルに参加する
  • 1982年時期不明 フランス・アカデミー・デュ・ジャズがその年の最高のフレンチ・ジャズ・ミュージシャンに贈る「ジャンゴ・ラインハルト賞」を受賞。New!!!
  • 1983年 ニューヨークの「クール・ジャズ・フェスティバル」にソロ・ピアノで出演する
  • 1983年 フランク・カッセンティ監督の映画「ミシェル・ペトルチアーニへの手紙」がカンヌ映画祭に出品される
  • 1985年 チャールズ・ロイド・カルテットから脱退する
  • 1985年 エルリンダ・モンターニョと離婚する
  • 1985年 ニューヨークに移る
  • 1985年 フランス人として初めてブルーノートレーベルと専属契約する
  • 1993年 イタリア人ピアニスト、ジルダ・ブッタと結婚するが、3ヶ月で離婚する
  • 1994年 フランスに戻る
  • 1994年 フランス政府からレジオンドヌール勲章を贈られる
  • 1994年8月 レニー・ホワイト、ルイ・ペトルチアーニと日本ツアーを行う。
  • 1998年2月 インターネットでオンラインインタビューを行う
  • 1998年7月30日 国際ピアノフェスティバルを体調不良のため欠席する。7月30日21時30分にプログラムされていた。
  • 1999年1月6日 ニューヨークにて肺感染症に冒され、マンハッタンのベス・イスラエル病院に入院、他界する。入院していた部屋は9番室。朝4時28分。享年36歳
  • 1999年1月15日 パリのサン・ロック教会で葬儀が行われた

  • 両親からおもちゃのピアノを買ってもらうが、本物の音がしないので叩き壊してしまう。後にアップライトピアノを買ってもらう。(Conv,Interview)
  • [プロムナード・ウィズ・デューク]ライナー・ノーツには15歳でフェスティバルに参加し、プロ生活を始めるとあるが、[カンヴァセーション]ライナー・ノーツには1975年にプロデビュー、[ジャズ・マガジン]インタビュー記事に13歳でフェスティバルに初参加とあるので、13歳でプロデビューとした。
  • [プロムナード・ウィズ・デューク]ライナー・ノーツでは1982年に拠点をニューヨークに移したとあるが、インタビュー記事にて1985年とあるので、1985年にニューヨークに移ったとした。
  • [プレイグラウンド]ライナー・ノーツには1986年にブルーノートと契約、とあるが、[プロムナード・ウィズ・デューク]ライナー・ノーツ及び、インタビュー記事にて1985年にブルーノートと契約とある点、又、アルバム[ピアニズム]も1985年録音である点から1985年にブルーノートと契約とした。
  • インターネットのオンラインインタビュー内容の一部 (Duke)
    Q : あなたのようなピアニストになるためには何をすればいいのでしょうか
    A : 3つのアドバイスをしたい。1に弾くこと、2に弾くこと、3番目もまた弾くこと。日々の厳しい修練しか道はない
    Q : 誰からもっとも大きなインスピレーションを得ているか
    A : デューク・エリントンだ。そもそも私がジャズ・ピアノを志すようになったきっかけはエリントンのピアノを聴いたことが動機になったのだから
    Q : 好きなアルバムは
    A : ビル・エバンスの[モントルーⅡ]、ウェス・モンゴメリーの[バンピン]、グレン・グールド、アルトゥーロ・ミケランジェリのアルバム全て
  • ペトルチアーニが亡くなったのをうけて、ジャック・シラク大統領は「ジャズ界が生んだ勇気ある天才だった」と哀悼の辞を送った。(Duke)
  • 葬儀には キャテリーン・トロートマン文化大臣、ローラン・ファビウス前首相、ジャン、ミシェル・ジャール、ジョルジュ・ムスタキ、アンリ・サルバドール、クロード・ヌガロらが参加した。(Duke)

参考文献

  • [プロムナード・ウィズ・デューク] ライナー・ノーツ
  • [カンヴァセーション] ライナー・ノーツ
  • [ジャズ・マガジン] インタビュー記事
  • [プレイグラウンド] ライナー・ノーツ
  • [Michel Petrucciani] Benjamin Halay
  • [Michel Petrucciani] Franck Médioni

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